父の事③
「誤嚥性肺炎」を起こしてから5日目の金曜日の夜、私たちが寝ている部屋に母が来て「お父さんの呼吸状態がおかしいから、病院から電話がかかってきて、すぐに来てくれって」といいに来ました。
たまたま夫も帰宅している曜日と時間でしたので、夫の運転で病院に向かいました。
(後から考えると、父は夫の帰宅を待っていたのかなとも思いました)
夫が車を止めている間に、母と子供たちと病室に行くと、既に心臓マッサージをしていました。
私は息子を抱っこ紐で抱っこしながら「じいちゃん!じいちゃん!」と耳元で呼びかけましたが全く反応しません。
日付が変わり土曜日になっていました。
2015.06.27 69歳で旅立ちました。
その日の夕方は、夕焼けがとても綺麗だった事を鮮明に覚えています。
そして火葬までの間は自宅に連れて帰り、家族で過ごしました。
娘はもうすぐ4歳という年齢でしたが、父が亡くなった事を全て理解はしていないと感じました。
(分かっている部分もあったのだとは思いますが。)
父が寝ているいつものベットに乗って
「じいちゃん、もう少し端に寄ってよ!」と言って一緒に寝てしまったり。
娘の中に少しでも父の記憶が残っていてくれる事を祈るばかりです。
父が亡くなったばかりの頃は、心の中で母をずいぶん責めました。
恐らく気持ちの持って行き場が無かったのだと思います。
そして、自分自身の事も責めました。
母が留守をしていると分かっていたのに、父が病院から帰宅するのを待って様子を見に行かなかった事。
夫と相談して、父の体調を考え二世帯にしたのに、何も意味がなかった…
亡くなった年は、そんな事を自問自答していました。
次の年(昨年)になると、少し気持ちが和らいできました。
母の取った行動は納得が出来ませんが、幼い娘を抱えて父が病気になり暫く働けず、その先もずっと病気がちで、母はずいぶん苦労をしてきました。
もう十分だったのかなとも思えるようになって来ました。
(たまにフラッシュバックのように、怒りがこみ上げてきますが)
そして、もう一つ救われたのが、私の脳外科の執刀医から言われた事でした。
「透析を受けているという事は、すでに1つ延命治療を選択しているんだよね。
そして他にもたくさん病気を抱えていた。
もし仮に早く運ばれて治療をしたとしても、予後はあまり良いものではなかったと思うよ。」
といった様な内容でした。
それからも、気持ちが上がったり下がったりで苦しい日々でしたが、今年に入ってずいぶん落ち着いてきました。
そんな時に、子供たちの笑顔に本当に救われました。
父も家族みんなで一緒に暮らすことが出来て、孫の顔も見られましたし、幸せだったと思います。
そうやって時を重ねて、穏やかな気持ちになっていけるといいなと思います。
思い出す父の姿はいつも優しいものばかりです。
私がくも膜下出血になったときに、病院の床に水たまりになるぐらい泣いていたと聞かされました。
そんな父の気持ちを考えると、私が先に逝かなくて本当に良かったと思いました。
じいちゃん、お疲れ様でした。
長々と、お付き合いいただいてありがとうございました。
※病状や経過につきましては、個人のものですので、全ての方にあてはまる訳ではありません