父の事②
倒れて病院に運ばれた次の日から、病院と家との往復の生活が始まりました。
娘は倒れた日だけは幼稚園を休ませましたが、土日以外は普通に登園させて、16時や17時まで幼稚園のお預かりをお願いしていました。
父は数日間、集中治療室にいましたので、その間は母や夫と交代で会いに行きました。
その後は集中治療室の隣の脳卒中センターの中にある、一般病棟に移動したので、ここでは子供たちも入ることが出来ました。
リハビリも始めていて、子供たちの顔を見ると嬉しそうに手を上げたりしていました。
ただ、言葉も話せませんし、体も半分動きません、食事も出来ない中で、この先どうなるんだろう?という不安は常にありました。
そして一般病棟に移動して1週間目の朝、携帯に病院から着信がありました。
急いで行ってみると「誤嚥性肺炎」を起こしてしまったとの事でした。
私が着いたときには少し落ち着いていました。
母も後から来たので、医師からの説明を聞きました。
医師からは今後病状が悪化した時の「延命措置」をどうするか?という選択を迫られました。
一通り説明をきいたあと、母と病院内のカフェで話し合いました。
・延命措置をした場合(人工呼吸器)恐らくずっと外せないだろう
・透析をしていて人工呼吸器をつけているとなると、受け入れ可能な病院があってもかなり遠方になる
・この先、口から物を食べられるようになる可能性はきわめて低いので、いずれ胃ろうになるだろう
上記の点を踏まえてご相談くださいといわれました。
普通に考えれば、延命措置はしない選択になると思います。
ただ、決定する立場になってみると、本当に迷ってしまいました。
でも最後には母が「延命措置はやめよう」「父の回復にかけよう」と決めて医師につたえました。
それからは、リハビリも出来なくなり、酸素マスクをして苦しそうに横たわる日々でした。
私が父の存命中に最期に病室を訪れたのは、「誤嚥性肺炎」を起こしてから4日後の事でした。
その日、病室に行くと「抵抗力が弱っているので、感染を起こしている。普通の人なら問題ない菌だが、病室に入るときにはマスクや防護服?(割烹着の様なもの)などを着るように」と言われました。
私が全てを身にまとい病室に入ると父は驚いたような表情を見せました。
それなので「大丈夫、たいした事は無いんだけどね、じいちゃんは(子どもが生まれてから父の事をじいちゃんと呼んでいました)今病気になっちゃってるから感染しないように着てるだけだからね」
と明るく伝えて、少し話しかけたりしました。ですが、暫くすると父は険しい表情で動くほうの手を扉の方に向けて「かえれー」と言いはじめました。
言語障害がありましたので、はっきりとは言えませんでしたが、言葉は伝わりました。
恐らく、私や子供たちへの感染を心配したのだと思います。
(感染していたので、子供たちは入室を控えていました)
何度か「大丈夫なんだよ」と伝えましたが「かえれー」と言うばかり。
結局押しに負けて「また来るからね」と伝えて病室を後にしました。
そして父と交わした最後の言葉になってしまいました。
なんとも父らしい・・・
母はその日と次の日の夕方にも1人で病室を訪れていました。
そしてそれが父が存命中に家族が面会する最後になってしまいました。
長くなりましたので、次に続きます。
父の事①
父の事を書こうと思いますが、詳しく掘り下げてしまうとかなり長文になってしまいますので
割愛しながら書いていきたいと思います。
父は長い間、人工透析を受けていました。
私が2歳ぐらいの頃から透析を始めて、夜はいつも週3回ほど留守にしていました。
ですが仕事もしていましたし、休みの日には色々な場所に連れて行ってくれて、無理はしていたのかもしれませんが、小さい頃の父は病気というイメージはまったくありませんでした。
それでも長く続けるうちにだんだんと心臓の機能が弱くなってきてしまい、亡くなる10年少し前にペースメーカを入れました。そしてさらに「再生不良性貧血」も発症しました。
さらに年齢も重ねて、透析も長くなってきてあちこちの血管も詰まってきていましたし、いろいろな検査を受けてはいましたが、血液をサラサラにしすぎてしまうと他に害が出てしまったりで、晩年はあまり活動的とはいえませんでした。
それでも自営業でしたので、普通に毎朝スーツを着てお店には出ていました。
亡くなる前の年に、言動や行動が少しおかしい時がありました。
車を運転していて、急に道が分からなくなったり・・・
透析を受けている病院の方からも連絡があり、言動がおかしいので神経内科の受診を勧められました。
母と受診して検査を受けましたが、その際には特別な問題はありませんでした。
また、足が痛くて歩くのが本当に遅くなっていたのもあり、良く転んでいました。
父の場合転んでしまうと貧血が進んでしまうため、そのたびに病院に行って診てもらったり検査をしたりの繰り返しでした。
亡くなる前の年の6月ぐらいから、昼間に透析を変わって欲しいと病院側に言われて、私が送り迎えをしていました。
ですが当時私は妊娠中だったのと、切迫早産になってしまったので、それからはタクシーを使うようにしていました。
そしていつの間にかまた夜の透析に変えていました。
表向きの理由としては「透析から帰ってくると疲れて眠くなるので、夜眠れなくなってしまう。」
ですが本当は、いつまでも現役で仕事をしているというプライドがあったのだと思います。
仕事を1番に考えてきた父らしいと思いました。
父が倒れた日は、透析から帰宅して少し経ってからのようです。
ようですというのは、たまたまその日は母が旅行に出かけていて不在でした。
私はその日は朝から息子を連れて病院などに行ったので、夜は疲れて寝落ちしてしまいました。
この日、朝から家に居る選択をすれば、日中父ともっと会話が出来たのにと悔やまれます。
娘を迎えに行って帰宅すると、ちょうど父が透析に向かうところでした。
小脇にセカンドバックを抱えて、とびきりの笑顔で手を上げて行ってくるよ!の合図をしてバス亭に向うところでした。
父は言葉はありませんでしたが、手を上げたジェスチャーで分かりましたので、
私は「行くの!気をつけてね」と言いました。
これが倒れる前の元気な父を見る最後でした。
父が倒れた日の夜は、母が旅行から戻る予定の日でしたが、飛行機のフライトを最終便にしたので23時過ぎの帰宅になってしまいました。
母が23時過ぎに帰宅すると父は倒れていたそうです。
ですが、まさか脳梗塞などとは思わずに、いつものように転倒してそのまま寝てしまったんだろうと思い、抱えてベットに戻して一緒に朝まで寝てしまっていました。
これは、本当に納得できなくて(今でも)どうしてすぐに救急車を呼ぶなり、私に相談してくれなかったんだろうと。
しかも私が病気になってからわが家のルールで「何かあったらすぐに病院!」と話し合っていたのです。
母曰く、旅行で疲れていたし、まさかそんな病気なんて全く思わなかったそうです。
私が朝起きて下に下りると、母は普通に仕事に行くところでした。
ただ「お父さんがね、全然何も話さなくて、昨日帰ったら床に倒れていてね」といい始めて、父の様子を見たときに、これは頭の関係だ!と直感で分かりました。
母に仕事をキャンセルするようにキツク伝えて、救急車を呼ぶように伝えました。
程なくして救急車が来ましたが、父が担架で運ばれていくときに「このまま生きて戻ってこれるだろうか・・・」と思った記憶があります。
結局、父は私が頭の手術をして、子供たちを出産したのと同じ病院に運ばれることになりました。
私は子供たちを連れて車で追いかけました。
病院では、発症から時間も経ってしまっているので、急いで治療をする様子はありませんでした。
少し待って神経内科の担当医師から、父の病状の説明がありました。
中大脳動脈が詰まってしまっていて、言語障害・失語・片麻痺などの症状が出ているという事でした。
その後、夫にも連絡して来てもらい、午後から再度医師の説明を受けましたが、やはり状況はとても厳しいものでした。
その日は集中治療室に入っていたので、子どもたちが入れないため、3人で交代に病室に入って父の顔を見て話しかけたりしました。
父は疲れた様子でしたが、子供たちの話をすると笑顔になりました。
やはり孫は可愛かったのだと思います。
その日はそのまま帰宅して、それからどう過ごしたか殆ど覚えていません。
ただ、子供たちがいるので(当時娘はもうすぐ4歳・息子は5ヶ月)日常生活はしたのだと思います。
長くなりますので、次に続きます。
三回忌
こんばんは。
今日も蒸し暑い1日でした。
午前中は、母が休みだったので、娘の宿泊保育のパジャマなどを買いに行きました。
お昼は前から気になっていた、小さな中華屋さんで食べました。
お店は小さいですが、息子にも優しく接して下さり、味もとても美味しかったです。
お昼寝のあと、娘を迎えにいってから、娘のスイミングに行きました。
前回同様、とても楽しそうにやっていたので良かったです。
オムツが暑いというので、ブリーフにしてみました(笑)
今年の夏にオムツが外れるといいのですが、ちょっと難しそうです。
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やや暗い記事になります
今日は父の三回忌でした。
母と相談して、命日には悲しくなるので特別な事は止めようと話しています。
ですので特別な事は何もしていません。
亡くなって1年目よりも今年のほうが少し気持ちが落ち着いています。
ですがたまに色々と思い出して、胸が締め付けられるような時もあります。
やはりまだ自分の中では消化できていないいろいろな事があって、
でも仕方が無かったんだという気持ちと、行ったりきたりしているんだと思います。
気持ちの区切りをつける意味でも、父の亡くなった経緯を少し書いてみたいと思います。
長くなりますので、次の記事にしたいとおもいます。
読んで頂いてありがとうございました。
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またトーマスランド②
こんばんは。
今日は午後から晴れて蒸し暑くなりました。
さて、昨日の記事の続きです。
お昼休憩は前回同様、トーマスランド内のトーマスレストランに行きました。
11時半頃に行きましたが、7.8割程度は席が埋まっていました。
前回売切れだった、限定プレートにしようかと思いましたが、2,000円・・・
娘も食べたいというでしょうから4,000円・・・
今回もランチボックスにしました。
娘はピザが食べたかったのですが、売切れていました。
もし移動が大変ではないようでしたら、リサとガスパールタウンや富士急ハイランドの方に行って、簡単な軽食を食べても良いかもしれません。
お昼を食べ終えて、子供たちは元気が復活!
私と夫はグッタリ(笑)
午後は水遊びをする!と子供たちが決めていたので、向かいました。
園内はそんなに広くはありませんが「ねがいのたき」という水遊び場所がありました。
土曜日はかなり暑かったので、水遊びには最適でした。
※暑い日にトーマスランドに行く場合は、着替えとタオルはあった方が良いかもしれません
娘はこの日1番のいい笑顔でした
それから着替えを済ませて、いくつか乗り物に乗ったり、お土産を見たりして過ごしました。
14時半から傘に模様をつけるイベントがあったので参加しました。
簡単なビニール傘に、ハロルドかトーマスの絵をなぞって書いたり、シールを貼ったりするものでしたが、2人とも真剣に取り組みました。
そして意外にも、このイベントがかなり楽しかったらしいです。
さすがに息子が「もう眠い!」と言い始めたので、ベビーカーに乗せてトーマスランドを出る頃には寝てしまいました。
そのあと富士急ハイランドのメリーゴーランドに夫と娘が乗りました。
息子が寝ている間に、3人で少しお茶をしてから、リサとガスパールタウンのメリーゴーランドに、娘と私で乗りました。
今回は娘が5歳11ヶ月・息子が2歳6ヶ月で行きました。
個人差もあると思いますが、娘はまだトーマスランドでも楽しめました。
息子は前回よりもっとトーマスが大好きになっているので、とても楽しかったようです。
娘がもっとママと2人で乗り物に乗りたかったんだよ、と最後にポツン言っていたので、息子がもう少し理解が出来るようになり、夫と待っていられるようになったら、2人で乗りたいと思いました。
疲れましたが、息子が「とーましゅランドたのしかったねえ」と何度も言っているので良かったです。
また秋か冬に息子の誕生日を兼ねて行って見ようかと思います。
トーマスランドの記事にお付き合い頂いてありがとうございました。
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またトーマスランド①
こんばんは。
今日は蒸し暑い1日でした。
土曜日に、トーマスランドに行ってきました。
春休みに行ってから息子が毎日呪文のように(笑)
「とーましゅランドいきたいねえ~」と言い続けていました。
当初、息子と2人で平日の昼間にサクッと行こうかとも考えましたが、娘が「私も行きたい!」と言うので、6月に入ってからみんなで行こうと決めていました。
それまで出来るだけ節約して、質素に過ごしていました(汗)
今回は2回目の来園ですので、これから行く予定の方に少しでも参考になればと思い、記事を書きたいと思います。(私も最初に行く時に、他の方のブログを参考にしました。)
(※行くまでのお楽しみにされる方は、これから先は見ないほうが良いと思います)
前回と同じように朝6時半過ぎに家を出て、ETCをつけたので高速に乗るのも順調でした。
途中で事故渋滞が少しありましたが、朝ごはんを食べても9時ごろに富士急ハイランドに着きました。
先ずは私だけ入園券を買いに、一足先に向かいました。
前回も平日でしたが春休みだったので、入園券売り場で並びました。
可能でしたら、家族のうち誰か一人が先に入園券売り場に向かうと良いかもしれません。
入園券ですが、わが家では前回も今回も息子を除く3人はトーマスランドパスにしました。
トーマスランドパスで、富士急ハイランドの乗り物いくつか(メリーゴーランドや観覧車など)とリサとガスパールタウンの乗り物(メリーゴーランドの様なもの1つしかありません)にも乗ることが出来ます。
そして今回は午前中、私と息子・夫と娘の二手に分かれて園内を回ることにしました。
前回の困った事
・皆で乗り物に乗ってから、息子はもう1度乗りたい!娘は違う乗り物に乗りたいと意見が分かれる事がたびたびありました。
・娘は乗れても息子が年齢制限で乗れないものがあり、怒り出す事がありました
トーマスランド内はさほど広いわけではないので、お互いに携帯で連絡を取り合えばすぐに会うことが出来ると思います。
私たちグループは、前回息子が1番楽しそうにしていた「うきうきクルーズ」に最初に向かいました。
まだ9時半頃でしたので、2.3組しか待っていなかったので、すぐに順番が回りました。
うきうきクルーズは1回に乗れる人数に限りがあるので、たくさん並んでしまうとかなり待つことになります。出来るだけ最初の頃に回ることをお勧めします。
ただ、先頭に乗ると水が少しかかるのと、勾配があるため、怖がるお子さんもいるかもしれません。
息子は今回も嬉しそうに2回続けて乗りました。
全景(これは後から合流した時に夫が撮影しました)
そのあと、近くにあったパーシーのモニュメントを見て写真を撮ったりしていると、偶然夫・娘グループと会いました。
4人で「トーマスのパーティパレード」に乗ることにしました。
こちらは4人乗りですが、たくさん貨車があるのと、前回も今回も殆ど並びませんでした。
ただ、途中何ヶ所か暗くなりますので、少し怖がるお子さんも居るかもしれません。
うちは最初に娘と息子を先頭に乗せたので、息子が最初少し不安そうにしていました。
最後の頃に写真撮影があります。
その写真は1枚500円で購入可能です。
その場で購入しなくても、番号を覚えておけばその日であれば買うことが出来ますので、何回か乗った場合は写りの良い物を選ぶのも手かもしれません。
そしてその写真購入場所は、小さいですがお土産売り場になっています。
帰りたくない~!となってしまう事も予想されます(笑)
周りからも「お土産は最後だからね」と言う声がたくさん聞こえてきました。
それからまた別行動になり、息子が最初に見た「トーマスとパーシーのわくわくライド」に乗りたいと言うので、向かいました。
トーマスとパーシーのわくわくライドですが、この時間はジェームスでした。
ジェームスは先頭に同じ赤い給炭車が連結されていて、運が良ければここに座れますと貼紙が貼ってありました。
そして!たまたま私たちの前で満席になり、次の貨車の先頭に乗る事ができました。
乗った時はそこまで感動はしていませんでしたが、後から家で「赤いところ乗ったよね~」と何度も話していたので、嬉しかったようです。
通り道には、たくさんの仲間がお出迎えしてくれます。
息子はとても興奮していました。
そして終点に着くと、自動的にお土産売り場に入る仕組みになっています。
ここは大きいショップで、木製トーマスレールや貨車のおもちゃが何個か置いてあり遊べますので、本当に離れなくなります(笑)
この日は、もう一度皆でわくわくライドに乗ったときには「トーマス」で、帰りがけにみたら「パーシー」でした。
交代の運転のようですね。
それから再び夫・娘チームと合流して、娘が「楽しいから何度もやったよ!」と言う「立体迷路トーマス・サーカス」に娘がやりたい!と言うので行きました。
詳細は省きますが、簡単な迷路になっていて、スタンプを集めて最後にプレゼントをもらうという仕組みになっています。
おそらく娘はスタンプが大好きなので、楽しかったのだと思います。
娘はルールを理解して回ってスタンプを押していましたが、息子は姉の言われるままに(笑)やっていたので、半分ぐらいしか理解できていませんでした。
そして暑くて疲れたので、お昼休憩をすることにしました。
トーマスカフェに向かう途中に、息子の大好きな「チャーリー」がいたので写真を撮りました。
長くなりそうなので、続きます。
気長にお付き合いください。。。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
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久しぶりの耳鼻科
こんばんは。
今日はとても暑い1日でした。
息子は今日、半年ぶりぐらいに耳鼻科に行きました。
自分で朝から「耳をみてもらおう」と張り切っていましたので、診察室に呼ばれても大人しく座っていました。
心配していた中耳炎はなく、耳垢がたまっていたので、お掃除をしてもらいました。
満足したらしく、ご機嫌でした。
それから少し本屋さんを見て、娘のスイミングの短期講習を申込して帰宅しました。
申込をした場所の庭で、小さな虫をずっと観察していました。
虫に限らず、動物など生き物全般に「かわいいねえ」と言う事が増えました。
力加減もだいぶ分かってきたようで、小さな虫も優しく触っています。
そして買い物をしてからお昼は息子のリクエストで、つけ麺を食べました。
お昼寝を済ませていつものように娘を迎えに行ってから、みんなでおやつを食べていると、幼稚園の担任から電話がかかってきました。
「荷物を置いて帰ってしまいました」と・・・
週末なので、上履きや体操着などを持ち帰るのですが、園に置いてきてしまったようです。
先生の計らいで、わが家の近くを通る園バスがまだ出ていないので、荷物を乗せて向かってくださいました。
暑い中幼稚園に戻らなくて良かったので、助かりました。
無事に受け取りました。
これからは園を出る前に、娘と一緒に確認したいと思います。
もう週末ですね。
今週はとても早かった気がします。
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小林麻央さんが亡くなりました。
本当に本当に残念ですし、何よりも、2人のお子さんの事を思うと胸が痛みます。
小林麻央さんが最初に妊娠を発表された時に、とても親近感がわいていました。
そしてご主人の海老蔵さんがブログを始めてから、娘が同い年で生まれ月まで同じと言うこともあり、それからずっと成長の様子を楽しみにしていました。
今は何も言葉が見つかりません。
小林麻央さんのご冥福をお祈りいたします。
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読んで頂いてありがとうございました。
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参観日
こんばんは。
今日は娘の参観日でした。
普通の授業参観ではなく、幼稚園でやっている「リトミック」の参観です。
年中の頃からやっていますが、見学するのは初めてでした。
想像と違って、結構みっちりと1時間動いたり歌ったり、とても疲れるだろうなという印象です。
娘は時折私の方を見ながら恥ずかしそうに照れ笑いしていましたが、一生懸命にやっていました。
幼稚園時代の参観も残り数回になりましたので、しっかりと目に焼き付けておきたいです。
娘を迎えにいってから、私の「乳がん健診」に行きました。
母が今日はお休みを取ってくれていたので、健診も1人で行きました。
私が受診している健診は「エコー」なので、妊娠中・授乳中も出来ます。
基本的には自費になりますが、病気をした2010年からほぼ毎年1回受診しています。
結果は今回も異常なしでした。
また来年受診したいと思います。
子供たちが少し鼻風邪気味になっています。
娘は相変わらず咳も出ているので、小児科で咳止めを追加してもらいました。
息子は鼻水がひどいので、明日耳鼻科を受診したいと思います。
読んで頂いてありがとうございました。
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