なるようになるさ

子育て、断捨離、病気の事などを気ままに書いています

父の事①

 

父の事を書こうと思いますが、詳しく掘り下げてしまうとかなり長文になってしまいますので

割愛しながら書いていきたいと思います。

 

 

父は長い間、人工透析を受けていました。

私が2歳ぐらいの頃から透析を始めて、夜はいつも週3回ほど留守にしていました。

 

ですが仕事もしていましたし、休みの日には色々な場所に連れて行ってくれて、無理はしていたのかもしれませんが、小さい頃の父は病気というイメージはまったくありませんでした。

 

それでも長く続けるうちにだんだんと心臓の機能が弱くなってきてしまい、亡くなる10年少し前にペースメーカを入れました。そしてさらに「再生不良性貧血」も発症しました。

 

さらに年齢も重ねて、透析も長くなってきてあちこちの血管も詰まってきていましたし、いろいろな検査を受けてはいましたが、血液をサラサラにしすぎてしまうと他に害が出てしまったりで、晩年はあまり活動的とはいえませんでした。

 

それでも自営業でしたので、普通に毎朝スーツを着てお店には出ていました。

 

亡くなる前の年に、言動や行動が少しおかしい時がありました。

車を運転していて、急に道が分からなくなったり・・・

 

透析を受けている病院の方からも連絡があり、言動がおかしいので神経内科の受診を勧められました。

母と受診して検査を受けましたが、その際には特別な問題はありませんでした。

 

また、足が痛くて歩くのが本当に遅くなっていたのもあり、良く転んでいました。

父の場合転んでしまうと貧血が進んでしまうため、そのたびに病院に行って診てもらったり検査をしたりの繰り返しでした。

 

亡くなる前の年の6月ぐらいから、昼間に透析を変わって欲しいと病院側に言われて、私が送り迎えをしていました。

 

ですが当時私は妊娠中だったのと、切迫早産になってしまったので、それからはタクシーを使うようにしていました。

 

そしていつの間にかまた夜の透析に変えていました。

表向きの理由としては「透析から帰ってくると疲れて眠くなるので、夜眠れなくなってしまう。」

ですが本当は、いつまでも現役で仕事をしているというプライドがあったのだと思います。

 

仕事を1番に考えてきた父らしいと思いました。

 

 

父が倒れた日は、透析から帰宅して少し経ってからのようです。

ようですというのは、たまたまその日は母が旅行に出かけていて不在でした。

 

私はその日は朝から息子を連れて病院などに行ったので、夜は疲れて寝落ちしてしまいました。

 

この日、朝から家に居る選択をすれば、日中父ともっと会話が出来たのにと悔やまれます。

 

娘を迎えに行って帰宅すると、ちょうど父が透析に向かうところでした。

小脇にセカンドバックを抱えて、とびきりの笑顔で手を上げて行ってくるよ!の合図をしてバス亭に向うところでした。

 

父は言葉はありませんでしたが、手を上げたジェスチャーで分かりましたので、

私は「行くの!気をつけてね」と言いました。

 

これが倒れる前の元気な父を見る最後でした。

 

 

父が倒れた日の夜は、母が旅行から戻る予定の日でしたが、飛行機のフライトを最終便にしたので23時過ぎの帰宅になってしまいました。

 

 

母が23時過ぎに帰宅すると父は倒れていたそうです。

ですが、まさか脳梗塞などとは思わずに、いつものように転倒してそのまま寝てしまったんだろうと思い、抱えてベットに戻して一緒に朝まで寝てしまっていました。

 

これは、本当に納得できなくて(今でも)どうしてすぐに救急車を呼ぶなり、私に相談してくれなかったんだろうと。

 

しかも私が病気になってからわが家のルールで「何かあったらすぐに病院!」と話し合っていたのです。

 母曰く、旅行で疲れていたし、まさかそんな病気なんて全く思わなかったそうです。

 

私が朝起きて下に下りると、母は普通に仕事に行くところでした。

ただ「お父さんがね、全然何も話さなくて、昨日帰ったら床に倒れていてね」といい始めて、父の様子を見たときに、これは頭の関係だ!と直感で分かりました。

 

母に仕事をキャンセルするようにキツク伝えて、救急車を呼ぶように伝えました。

 

程なくして救急車が来ましたが、父が担架で運ばれていくときに「このまま生きて戻ってこれるだろうか・・・」と思った記憶があります。

 

結局、父は私が頭の手術をして、子供たちを出産したのと同じ病院に運ばれることになりました。

私は子供たちを連れて車で追いかけました。

 

 

病院では、発症から時間も経ってしまっているので、急いで治療をする様子はありませんでした。

少し待って神経内科の担当医師から、父の病状の説明がありました。

 

中大脳動脈が詰まってしまっていて、言語障害・失語・片麻痺などの症状が出ているという事でした。

 

その後、夫にも連絡して来てもらい、午後から再度医師の説明を受けましたが、やはり状況はとても厳しいものでした。

 

その日は集中治療室に入っていたので、子どもたちが入れないため、3人で交代に病室に入って父の顔を見て話しかけたりしました。

 

父は疲れた様子でしたが、子供たちの話をすると笑顔になりました。

やはり孫は可愛かったのだと思います。

 

 

その日はそのまま帰宅して、それからどう過ごしたか殆ど覚えていません。

ただ、子供たちがいるので(当時娘はもうすぐ4歳・息子は5ヶ月)日常生活はしたのだと思います。

 

 

長くなりますので、次に続きます。