なるようになるさ

子育て、断捨離、病気の事などを気ままに書いています

くも膜下出血のこと③

 

・2月28日から3月1日

今日も昨日と変わらず、頭痛で横になったままの状態でした。

 

滅多に来ない実父が上に様子を見に来て「こんな状況がいつまでも続くのはおかしい。病院にもう一度行ったほうが良い。」と勧められたので、休日だったため、近隣の総合病院の救急外来を受診する事にしました。

 

午前中に着いたので、すぐに呼ばれました。最初に診察をしてくれた先生は、とても優しくて話しやすかったので、今までの経緯を説明しました。(小さい頃に通っていた事がある、馴染みのある病院だったので、余計に安心できたのだと思います)

 

結局、CTを撮る事になり、その後は簡易ベットで横になって結果を待つように言われました。その間は、実父・実母と3人で「脳出血かもよ。」「帰りお昼何を食べて帰ろうか。」など、冗談を言って過ごしました。

 

少し経つと先生が結果を伝えに来ました。冷静な口調です。

 

「脳から出血が見られますので、緊急手術・入院になります。」

「今、脳外科の先生を呼びますので、お待ちください。」

 

・・・。3人ともあまりの事に言葉が出ませんでしたが、母が唯一「そうですか。」と言ったのを記憶しています。私は恐怖で涙が出てきました。

 

それから暫くして、脳外科の先生(後の主治医)が現れました。

 

私は何も考えずに先生に唐突に「先生、私、死ぬんですか?」と聞いていました。先生はその時「いちいち答えている時間はない!」と冷たく言ってすぐに、母と父を呼んで別室へ3人で消えて行きました。

 

私は1人ベットに取り残され、代わりに看護師さんと最初に診察してくれた先生が来ました。

 

まず先生に半泣き状態で「私、死ぬんですか?」と聞いてみました。「死ぬ人には手術はしませんから大丈夫です。」という的確な回答。続いて看護師さんも「大丈夫、でも治療と入院は必要ですからね。」と言われました。少しだけ救われた気がしました。

 

実はこの時されていた処置のせいなのかは分かりませんが、この後手術が終わるまでは眠らされておりあまり記憶がありません。

 

検査や手術の間、夫も合流して執刀医の先生から手術についての説明を聞いたり、同意書を書いたり、入院に必要な物を買い揃えたりとしてくれていたらしいです。

 

深夜0時30分まで、約8時間に及ぶ手術を待つ家族は、すごくすごく辛い時間だったと後から聞きました。本当に申し訳ないと思っています。

 

手術の後半、先生に呼ばれて「手術は成功しました!もう大丈夫です。これから縫合しますので、もう少しお待ちください。」と言われた後、夫と父は、手を繋いで涙を流して喜んでいたらしいです。滅多に泣かない母も、少し散歩してくると出た後に帰ったら目が真っ赤だったと、後から夫が言っていました。

 

私が目を覚ますと、病院の個室にいました。周りを見渡すと、夫・母(父はいたようないないような)が私を見ていました。私は麻酔から覚めたばかりで、何を話したのか全く記憶にありません。後から家族に聞いた話では…

 

「個室はダメよ!差額ベット料がかかるから」

「(夫に向かって)マジックリンは良く落ちるねぇ」

「家族に向かって、まったくいつも代わり映えしない顔ぶれだねぇ」

 

などと言っていたようです。何だか恥ずかしいですね。

 

また夫に後から聞きましたが、手術室から戻った私は、顔がかなり浮腫んでいて、体中管だらけで、正直言ってかなり驚いたよ…と言っていました。

 

それから母が「もう0時過ぎなんだよ。」夫が看護師さんに「酸素マスクが暑いみたいです。」と、言っていた記憶はあります。

 

その日は手術から戻ると、手をベットに縛られていたようです。(後から看護師さんに聞いた話ですと、病気の内容を聞いて、現実を受け入れられず暴れたりする人が居たり、機械を外そうとする人も居るからとのことでした)

 

私は何だかわからず、明け方まで少しだけウトウトしていたみたいです。とにかく慣れない酸素マスクが暑苦しかったです。

 

朝になると、救急の時に来た怖い先生がやって来ました。「頭は痛くないですか?」と聞かれたので「少し…。」と答えました。

 

このときはまだ麻酔が効いていたからなのか、不思議とあまり痛みは感じませんでしたが、痛くなるのは時間の問題でした。

 

④に続く

 

 

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